昭和51年10月28日 朝の御理解



 御理解 第72節
 「人間を軽う見な。軽う見たらおかげはなし。」

 神の氏子として見るというですか、一番間違いのないことは、神の氏子として見る。どんな人でも、やはり神性を備えておる人として見る。こういう見方が一番間違いがないだろうと思います。昨日福岡の戎浦さんから電話が掛かって参りました。今日はちょうど昨日一昨日、あちらの三番目の娘さんですかねが、丸少でこちらへ来ておりましたが、帰り道に久留米の西鉄の前で、朝鮮人の方が教祖で何とかというですね、ありゃあっ統一教会。の連中に捕まって捕まってと言うがまぁそのうまぁ呼び止められて。
 そしてそのうまぁ話を聞いてくれとこういう訳である。「時間はありますか」と言われるから、「時間はあります」。「一時間あまりでもよいから」と言うて、何人かそういう若い人達ばかりが溜まりましたら、教会の方から支部の方でしょうかね、小さい自動車をもって迎えにきた。そして教会に連れていかれてそしてお話を聞いたと。その時にその鈴代さんと言いますが思うた事です。それを帰って逐一お母さんにお話した事を、お母さんが感動して又電話を掛けてきたのです。
 今日の御理解にも祈願詞にもあるように、愛の心をもってね丁寧親切に人に伝えていくと。成程向こうの言われる事も聞こうけれども、合楽の信心も一つ聞いてもらおうと思うたという。それで向こうへ連れていかれてから、いろいろと信心の話を聞くだけまぁ聞かせて頂いて、合楽の話をさせて貰った。もう一言一言に皆の人達がいわゆる「ほうほう」と言うてたまがって聞かれた。最後に一つあなたに質問致しますがと言うて、そのう質問されたのが。
 「例えばここに一本の木がある。それにあの啄木という鳥が留まっておる。その啄木がこの木をつついておる。あなたはそれをどう感じますか」と言う事だったそうです。「例えばつつかれながらでも啄木が立ち行き、木も立ち行くなら私はそれでいいのじゃないでしょうか」と言うたと。そしたら本当にたまがってしまってですね。「あなたは高校ですか大学ですか」ち言うたら、「いいや私は中学生」ち言うたげなから、いよいよたまがったという事をもっと詳しくね、その質問された事なんかをね。
 私はそのう最近愛をもってと言う事がね、どういう人の場合にでも、だから「あなた是非きて合楽の話をして下さい」と。「私は〇〇教会におかげを頂いておったけれども、もう信心を止めようかともうその思うて居るところに、両親家族が合楽教会に移って、信心の稽古をさせて頂くようになって、そして今あのう信心の稽古をさせて頂いておる」という、鈴代さんの話を聞いて、その統一教の若い人達ばっかりだったでしょうが、大変まぁ感心したと。
 勿論だからどうでもこちらの宗教に入いんなさいと言う事も言わなかったということです。これは例えば他宗派他宗教であっても、それを軽く見らない。愛の心をもって本当の事を一つ伝えていこうと言う訳です。昨日午後の奉仕の時でしたが、日田から国師さんがお参りになりました。ちょうど三人、四人の方を一緒に導いてお参りをされました。それが京都に縁について居られるそうですけれども、具合が悪くなってこっちに帰ってきた。子供二人連れて帰って来ておられる。
 それがどうもまぁノイロ-ゼ気味で、大変心配しておられると言う事で、その話を聞いておったから、是非合楽の教会にお導きさせて頂こうと思うて、お電話をさせて頂いた。そしたらほんな今病院にいくべくタクシ-を呼んだところであった。そんなら病院に行くのを合楽の教会にお参りさせてもらおうと言うので、まぁその方ともう一人友達の方を一緒にタクシ-でお参りをしてみえられた。成程ここで会うて見ましたら、随分ひどいです。もうここでも立ったりしゃごだりして、まぁ心が落ち着かない訳ですね。
 そして自分で自分の事が分からないような状態であります。だからその方のお母さんになる方と国師さんとが、「あんたが心に思うとる通りを先生にお願いしなさい」と言うたら、きょとんとした顔をしてこちらをこうじぃっと見詰てから、一番口にその人が言った事はどう言う事かと言うと、「先生二人の子供を助けて下さい」ちて言うた。私は本当にもう貰い泣きしました。自分で自分の心さえ取り失っておる程しの親がですよ、心の中にあるもの、潜在しておるものの一番は子供のことなのです。
 「先生、二人の子供を助けて下さい」ち、自分ば助けてくれじゃない。本当にその親の思いというものは、もうこりゃ千万無量と言われておりますが確かにそうです。それがどんなになら気が狂っておろうが、例えば家の親は強欲だ非道だというてもです、その芯のところに子供が憎いと言った様な親がある筈が絶対ないです。私はね今日は皆さんに「人を軽う見たらおかげはなし」と断言しておられるます神様は。だから人を軽う見る様な事ではおかげになりませんが、神様の氏子であると見る。
 それぞれにどういう人でも神の神性。神の性というものを、持っておる人としての見方を致します時に、やはりどういう人でもやはい尊ぶというか、大切にしなければいわゆる軽う見ると言った様な事は、以ての外だということになります。だからそれを神の子としてではなくて、もう一歩ならひざって親と子という関係においてです、親が子を思うということ。その親を神様を思うではなくて親を思うということ。親の思いというものをそういう千万無量のものであるから、なら子供としてです親をどう見ておるかと。
 私はいつもこの事を申しますですけれども、高橋さんのご両親がまだ元気にしておられるけれども、もうお年ですから二・三日前も、お母さんお参りしてみえられました。けれどもやっぱり、もう大変しゃんとしたお方ですけれども、何かどこかちった抜けなさったじゃなかろうかと、言う様な感じでございましたから、翌日高橋さん参ってみえた時に、お母さんもだいぶお年を取られたですねと、おとうさんは尚更の事でしょうが。
 どうでも一つあのうおかげを頂くということは、この両親がまだ元気で居るうちに、どうぞ両親が安心が出来る所まで、おかげを頂かせて下さいと言う願いを持たなければ、いけませんねと言うて話した事でした。今手広く商売を広げたばっかり。だから大変言わば苦しいところに立って居られる。それを両親が大変心配しておられる。これはもう俺たちが築いた三福という立派なのれんのお店を、定利がもう潰してしまうのじゃなかろうかと、言う様な不安すら持っておられるだろうと思うのです。
 ですからもうあれがあれだけの信心をして、あれだけのおかげを頂いていくから、もう大丈夫、安心して言うならば、まぁ死ねると言う様な、親に安心の与えられるおかげを頂くために、神様に願うと言うても、どうぞ両親が安心を致しますように、安心がさせられますように、おかげを頂かせて下さいと言う願いなら、神様が聞いて下さらん筈はない。私はそういうことを高橋さんにいつも申します。
 私もそうでした。引き揚げて帰って来た時に、それこそ食べるに食がない。着るに衣がない。と言った様なあの終戦直後の混乱した時代でしたから、この両親に喜んで貰いたい安心させたい、親孝行がしたいの一念で北支あたりまでも、言うならば働きにいったんです。それがあのうまぁ無残に裸一貫で、家族中のものが引き揚げて帰ってこんならんという時にです、もう目も当てられないと思いました。私の思い願いに。
 そこで神様にです「両親が亡くなりましたら、明くる日から元の貧乏にかえってもよいから、それまでに本当の分限者にならせて下さい。親に本当に与えられるものは与えられる、食べるものでも十分に、例えば与えられるおかげを頂いて、その両親に喜んでもらえ、安心してもろうて両親が亡くなったら、明くる日から元の木阿弥になっても構わん」という、私は願いを立てました。これはもう本当に実感でしたから。
 一生例えばならあのうその当時、一椀のお粥で過ごしました。親達に十分のものも与え切らずして、自分が腹一杯頂くてんなんてんと、言う事はもう以ての外だというので、本当言うたら、食べる資格もないと思う位ですけれども、そういう訳にも参りませんから、一椀のお粥。着るものも夏も冬も通して夏服一着。そうしてなら願った事は、この親に喜んで貰いたい、安心して貰いたいの一念が、そういう信心そういう修行に、取り組ませて頂いた。だから今から考えますと、そういう表行は、神様がお喜びにならなかっただろうけれども。
 親に孝行したいの一念を神様は受けて下さったんだと思います。私のおかげの根本は、親に孝行したいばっかりの一念です。私の信心を本気でおかげ頂こうという一念は、もうこれが根本です。だからここに参ってくる人達に申します事は、初めて参って来る人達によく申します事は、本当に親不孝したいという子供はおらんけれども、親孝行しとうてたまらんという者が少ない。だから親孝行がしょうごつしてたまらんという気を作んなさい。いっちょ親ば今日はこなしちゃろという子供がおるはずがありません。
 けれどもと言うて親孝行せなん事はわかっとるばってん、親孝行がでけんというだけの事です。ですからもう一つ親に孝行しようごとしてたまらんという心になったら、おかげにがおかげ頂いてきとるからそれを言うんです。今あのう手紙がここへきております。まだ今来て封を切ったばっかりですから、どういうことを書いてあるか分かりませんけれども、先程戎浦さんのこの手紙の孫に当たる方ですから、呼んでみましょう。
 今日の御理解に何かぴったりしたような事が、なかなか判じ物お年寄りですからね、言うならば今度の宮崎支部の結成のために、私共信心実習で菊栄会の方達と一緒に参りましたが、宮崎に支部ができた一番大本をとった人です。お婆ちゃんですねぇ、いつもここに参ってこられます。本当にですね熊本ですよ、それから延岡、宮崎を必ず行き戻りしていかれる訳ですが、もうそこにはどこにも信者さんが出来ていくんです。そして次から次と、なら支部結成と言う様なおかげに迄なってきた。
 その元をとった成程孫の話を先程させて頂いたが、成程この孫あってこのお婆さんありと言う様な、いつも感じの手紙なんです。大変雄々しい手紙を出されます。合楽教祖様ち書いちゃる。(笑)「毎日のお祈り有り難う御座います。合楽教会祈願ご発展お祈りさせて頂きます。親先生始め親奥様ご一同のご健康を、不徳ながらお祈りさせて頂きます。十月二十日宮崎の土地にお出で下さいまして、本当に有り難うございました。合楽の金光様のようなお徳の高いお方が、宮崎に足を踏み入れて下さっただけでも。
 あのホテルを始め土地の人が、この先おかげを頂かれるかと思いますれば、心強く楽しくてなりません。私は何も合楽教会のお役にも立たない、むしろ親先生にご心配をかけました。この不徳の私にお世話になりましたとお言葉を頂き、身に余る光栄で御座いました。初めてお参りさせて頂きました時、教祖様のような先生だと心の底に思い、宮崎の教会でお聞きした事のない御理解を頂き。このお徳の高い先生のお光を、何としても輝かして頂きたいと、私は念願で御座いました。
 その念願叶い得られました事、合楽の教祖の深い深い宮崎に念願下さいました事が実を結んで下さったと感じ、感動ばかりの毎日で御座います。折角十月二十日にお出で下さったので、何か一つでも改まらして頂かねばと思いまして、二十三日の朝の御祈念に、神様の御前に座らして頂きます時には、着物を決めさせて頂き、この事は守り抜かせて頂きたいと思わせております。五十二年の来年の事です。五十二年の十年祭が終わりましたら、今度は親奥様を宮崎にお招きさせて頂きますようお願い申します。
 奥様おられての教祖様のようなお徳の高い先生が、いらっしゃいますので何としても宮崎にお出で下さいますよう。親神様にお願い申し上げます。今はが出ました喜びに心が燃えております。私信心が長いだけでいつまで経ちましても、金光様の手荷物になるばかりで、私程屑の子はないだろうと思いますれば、合楽の教祖様のような先生のおかばいを頂きまして、人の助かるお役に立たして下さいませと願うばかりで御座います。宮崎に元を頂きました、秋永文男先生の立ち栄えもお祈りさせて頂きます。
 御礼が遅れまして申しわけ御座いません。菊栄会の方々にもよろしく申し上げて下さい。書き遅れましたが、二十三日の朝大祓い信行十巻の後、合楽の金光様朝晩千口、毎日二千口唱えさせて頂きます。神様から毎日強い音でおいさみを下さいます。本当に有り難う御座います。またご迷惑おかけ申し上げます」。まぁ御理解というか一つの心意気のようなものを感じますですね。
 けれどもそのう結局人を軽う見なという事は、これはならあのう金光教で言われます、お取次ぎを頂く先生を、金光様と思うてと言う事なんかも、なるほどそういう頂き方がおかげを頂くということが分かります。例えば合楽のいわば教祖様とか、金光様とかというその頂き方が、宮崎の方達がおかげを受けられる、私は一つのまぁ元であるという風に思うんです。ですから言わば人を軽う見るどころか、そういう尊んだ頂き方。私共が関わり合いをもつ限りの人達の上にです。
 本当に神様の氏子としての頂き方、または親が子を思う一念を思うたら、私共子供が親に対する思いの足りない事を分からしてもろうて、そういう思いを掻き立てて、私はあらゆる人にも接していく生き方。どういう目に余るようないわば人に出会いましても、以前椛目の時代に、藤原という女の先生がおりました。お道の教師の職も取られたんですけれども。その人も頭がちょっとおかしかったのですけれども、神様に向かって大変素晴らしい人でしたけれど。もう下へ下がったら。
 もう本当にもう私の方の家内なんかでも女中のような言い方をする様なところがあったですね。例えば私がちょっとあのう何か申しますと、気に入らんとねもう障子をガシャッと閉めてから向こうさん行くような事をしよりました。けども私はそう言う時に、いつも思いよったことは、「こらこら藤原さん一寸待ちなさい」と、こう言うてもいい様なもんですけれども、あれは親神様の姿だなといつも思よりました。ははぁ私の言うた事を親神様が、あぁいう風に現れておられると思う時に、こちらを反省する以外ない。
 と言う様な気が致しておりましたがね。今日は例えば金光様と思うたり、又は教祖様と思うたり親神様と思うたり、又親が子を思うその思いというものは、もう心が乱れて言わば狂乱状態にあっても、言うなら何か一つ願えというたら、二人の子供の事を先生願いますと言う様な心が、親の心の中にはあるんだと。だから親が子を思う思いというものは、皆さん子供をもって合点する事でしょうけれども。なら子として親がそういう思いで思うてくれておる事に、親に対しての思いが足りない事は取りも直さず。
 親を軽う見ておる事であり、人を軽う見ておる事になるのです。だからその思いに対する頂き方をですね、もう少し密に考えていかなければいけない。「人を軽うみな、軽う見たらおかげはなし」だから、例えば人を神様と見れれる様なおかげを頂くその、前提として、親と見るというところぐらいまでは頂きたい。例えばその親に対する思いでも、家の親は冷淡だ家の親は分からず屋だという、その冷淡と見え分からずやと見える親でも、その親の真の底を割ってみると。
 今も申しますように「二人の子供を助けて下さい」と願うような心が、親になってみて分かる事ですけれども、そういう状態の中にあっても子を思う情というか、一念というものを持っておるんだ。それを尊ばずして信心にならないということであります。もう家の親は死んだけんでと言うだけじゃいかん。んならそこには御霊様も御座る事ですから、御霊様も尊ぶという生き方を改めて、人を軽う見なという、今日の御理解の中から頂かなければいけないと思うですね。
   どうぞ。